なぜ、薬機法(薬事法)という道を選んだのか?薬機法との最初の出会い【第1話】

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こんにちは、B&Hマーケター・コンサルタント、B&H Promoter’s代表の江良公宏です。

「なんで江良さんは畑違いのところから薬機法の道に進もうと思ったのですか?」

この質問、結構いただくんです。

前職は医薬品の研究開発職。確かに、一見すると全く関連がないですよね。

そこで今回は『なぜ私が薬機法という道を選んだのか』について今さらながらお話しします。

もともとは製薬企業の研究職として就職

「良い大学を出て良い大学に行きなさい」

親のコトバに何も疑問を持たずなんとなく学校に行っていた私。このコトバのとおりに、一般的に見れば一流大学を卒業して一流企業に入社しました。

写真は大学院の研究室の同期+後輩と富士山に登っているときの一コマ(当時24才)。実験風景の写真は1枚もありませんでした…(^^;)

ちなみに薬剤師の資格を持つのに薬剤師として就職しなかったのは、単に研究の方が向いていると思ったからです。

 

会社での業務内容は創薬化学。

新しい薬になりそうな化合物を自分でリサーチしてデザインし、実際に自分でそれを創る(合成する)。仕事としてはフラスコ×危ない薬品というイメージそのままです。笑

もともと研究はすごく好きだったので、すごく仕事も楽しく日々を過ごしていました。

それが変わったのは、今でも覚えている1年目の秋の日のこと。

そして「買収」を経験する

同期『江良さ、今日の朝のNHK見た?』

朝の通勤(といっても当時は徒歩1分で会社だったのですが)途中で同期に聞かれたことです。

そしてわかったことは、どうやらうちの会社は買収されるらしいということ。当日はその話で持ちきりで全く仕事にならなかったのを今でも覚えています。

しかし、この買収劇と次の出来事があったことが、私にいろいろ考えさせることとなります。

入社2年目、リーマンショックが起こる

買収も大きな出来事だったのですが、2年目にかの有名なリーマンショックが起きました。

1日にして暴落していく株価。倒産する超巨大企業。

このあたりを期に、外資系の会社の一部は日本研究所を完全撤退。研究室の先輩でもイギリスまで赴任した人もいました。

そんな時にふと思ったんです。

「大きな会社に入れば安定していると思っていたけど本当にそうなんだろうか?10年後、もし倒産したりリストラされたら自分はどうなるだろうか?」

この頃から「自分の力で生き抜いていくことこそが、次の時代に求められる」と考え、独立を視野に入れるようになりました。

薬機法(当時の薬事法)との出会い

では、なぜ薬機法という道を選んだのか?という本題に入るわけですが…

きっかけはドラッグストアでした。

私はもともと肌が弱く、高校生の頃から化粧水を使わないと肌が乾燥してボロボロに。そのため、常に新しい健康食品や化粧品を探していました。

私の専門は創薬化学であることは書いたとおりですが、薬剤師でもあるので、ざっくり言えば成分名を聞けば、どういう構造でどういう効果があるかがわかるわけです。

ふと健康食品をいろいろ見ていたときに、「あれ、なんでこの商品は○○に効くこの成分が入っているのに何も書かないんだろう?」と疑問に思ったんです。

疑問はすぐに解決!が私のポリシーなので、早速帰ってインターネットで検索。すると、それこそがまさに薬機法(当時の薬事法)の規制だったわけです。

実は、薬剤師国家試験で一番苦手な科目。それが「薬事法」でした…

本当にこれはそうで、今だから言いますが、足切りギリギリの点数しかいつも取っていませんでした(^^;)

そして、薬機法は当然のことながら広告に対する規制ばかりではないので、試験範囲としては別のことをたくさん勉強します。

完全に苦手意識があったので、試験後は重要なポイント以外はすっかり忘れ去っていました…。それが先ほどのドラッグストアでの思わぬ出会いに繋がるのですが…。

とはいえ、「薬剤師」という資格を持っていることもあり、「薬機法」というビジネスは面白いかもしれない。最初はそんな単純な考えだったんです。

 

そして、ついに薬機法の広告規制について語る講師としてデビューを果たすのですが…

それはまた次回!

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